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M&Aは応援の究極のゴール、現場の最前線を走り続けたい

M&Aは応援の究極のゴール、現場の最前線を走り続けたい

企業戦略部 福井 順さん

「レジェンドに聞く」 今回は、2002年に日本M&Aセンターに入社し、今も現場の最前線で走り続ける企業戦略部 福井順さんに当社での20年のキャリアを振り返りながら、M&Aコンサルタントという仕事や若手社員への想いなどを聞きました。

ワクワクし武者震いした入社時

—入社したきっかけを教えてください。

高額所得法人の新規開拓をしていた前職の都銀時代から、M&Aをやりたくて手を上げていましたが、当時は何万人の中で数人のポストという時代。そんなとき、日本経済新聞で当社の採用広告を目にし、即応募しました。2002年6月、42歳での入社でした。
入社時の応募課題であった『私と仕事』に「40代は死に物狂いでできる最後の10年、自分のすべてをぶつけて仕事をします」と書いたところ、分林さん(分林保弘名誉会長)、三宅さん、(三宅 卓代表取締役社長)が「俺もそうやった」とおっしゃったのを覚えています。ワクワクし、武者震いがしたことを思い出します。
入社後は長い間買い手企業を開拓してきました。2018年に、M&Aコンサルタントとしての最終コーナーは上場企業の役に立ちたいと考え、企業戦略部に志願し異動しました。

—入社後はいかがでしたか。

入社当初は、分林さんと三宅さんから仕事への姿勢や発想、行動について、文字通り一挙手一投足に至るまで徹底的に教え込まれました。25~42歳までの営業経験を完全にリセットしてスタートしました。最初の3年は今ほど案件数も多くなく、まさにもがき苦しんだ時期でした。

私は前職では人の嫌がる新規開拓を嬉々として志願してやっていたので、買い手の開拓は大好きで、当社でも次第に得意になっていきました。当時の上司は「0から1を生む譲受け企業の受託が最も貴重だ」と勇気づけてくれました。

厳しいデビュー期を乗り越えられたのは、40歳で始めたマラソンのおかげです。かつてない心身の激務を都度乗り越えられたのも、このリセット手段があったからです。そして自分の武器はフットワークだと自覚し、人より早く、1件でも多く、人のやらない案件にもトライしました。

上場直前の会社の一体感や、これまでのすべての案件が思い出深い

—印象に残っている出来事を教えてください。

東証マザーズ上場直前期、一人残らず目標を達成し全面赤く染まった「達成率表」には痺れましたね。言いようのない高揚感を覚えました。社内は文字通り一つになっていました。

私の業績も安定し始め、社内初の5年連続達成表彰を受賞した時は嬉しかったですね。しつこく愚直に継続し、諦めなければ負けや失敗はないと思いました。できるまでやる、と言う感じです。マッチングの世界は奥深く、“スーパーマッチングアイデア”を生み出す醍醐味は最高です。また譲渡企業担当者からは「誰も見向きもしない案件にもマッチングしてくれて感謝」とよく言われました。
関わった全ての成約案件はどれも思い出深いです。

—今でも「現場第一主義」を貫いていますね。

現場で経験する良いことも悪いことも会社に上げ、多くの改善提案をしてきました。今では分業化、仕組化、DX化が高度に進み、仕事のしやすさは雲泥の差ですね。
部長職を経て、今は再度志願して現場の最前線にいます。常にお客様に向き合い、今起きていることを体感し、若手の皆さんの苦労を知りたいからです。

「感謝」を忘れず、M&Aという仕事に誇りを持つ

—M&Aの仕事の魅力とは。

私のパーパスは「応援魂ですべての人・会社を応援し貢献する」。M&Aはその究極のゴールの一つだと思います。自分の頑張りがストレートにお客様に届き、自分の喜びとなって返ってくる。全身全霊で取り組むに相応しく、自分を成長させてくれる仕事です。

お客様は創業者で、0から1をつくってきた人たちです。こんな方々に毎日直接会える唯一無二の仕事は他にはありません。譲受け企業担当として「総監督」「指揮者」であろうとしてきました。全ての楽器・役柄・文化・歴史的背景を分かっていないとオペラのタクトは振れません。双方のお客様を知り、現場の問題を先取りして解消させ、完成に導くことは最高にエキサイティングです。

—働くうえで大切にしていることは何ですか。

仕事は、自分の熱意や実力のすべてが嘘偽りなく結果に出るものです。また、私にとって現場こそが、自分が躍動し貢献できる最大のステージです。
根底にあるのは「感謝」です。家族・お客様・仕事・上司部下・環境・能力・体力・健康…どれ一つ当たり前ではなく「有り難い」ものです。60歳を過ぎ、特にそう思います。

2002年12月27日、三宅さんが年末挨拶メールで全社員にこんなコメントをくださいました。
“今の日本で本当にM&Aを理解し、経験し、見識を持って仲介できる人は本当に少ないです。我々はその先駆者として、ノウハウが身につけられる最先端にいます。自分自身が大幅にキャリアアップできるチャンスというのは人生の中でそんなになく、第一そのチャンスに恵まれること自体が大変な幸せなのです。”

入社半年あまりの私は、これをコピーして毎年の手帳に貼り、眺めては自らを鼓舞してきました。それ以来、「こんな面白い仕事はない」「こんなに心が震える仕事はない」とのめり込んできました。

—ご家族との関係はどうですか。

家庭と仕事のバランスが取れていたとは言い難いかもしれません。念願の仕事に就けたので、絶対にものにしたいと背水の陣で臨みました。今とは違って、当時は深夜土日構わず仕事をしましたが、妻はよく理解し、近所に住む義母、義妹も子育てを含め応援してくれたおかげで今があり、心から感謝しています。

ずっと続けてきた習慣があります。成約式・社員発表が無事に終わると妻に「お陰様で無事成約できました。内助の功に心から感謝します」とメールし、次の休日に家族で“成約記念食事会”を開いてきました。仕事の詳しい話はできなくても、順調にやっていると安心してもらえるよう「今3件進行中・多忙」とか「今ゼロ、必死」等と折々報告してきました。

個性を生かして自分らしく成長してほしい

—最近の当社についてはどう感じていますか。

社内優秀者研修で若手の皆さんと交流したとき、「仕事の報酬は仕事」という意識の高さや、ピュアな使命感にあふれる姿に心から感銘を受け、清々しい気持ちになりました。とてもレベルが高い息子・娘世代の社員と一緒に仕事ができることは最高に幸せだと思っています。この歳になると同僚もお客様もほぼ年下で、日々学ぶところがたくさんあります。

当社の若手社員は優秀なのに謙虚で、私からすると遠慮しすぎだと感じる時もあります。若さは何よりも武器ですから、自信を持ってお客様の懐にもっと飛び込んでほしい。場数を踏んで、経験を積んでほしいです。

―若手社員にはどんなメッセージを伝えたいですか。

「0から1をつくる仕事」への挑戦が最も成長につながります。仕事を人から貰うだけでなく、常に新規開拓に取り組んでください。顧客への愛情が深まり、成長速度が増し、相手方顧客の気持ちもよりわかるようになります。
小さくまとまらず、組織の中にあっても目一杯はみ出すべきだと思います。「お客様ファースト」に立って、長所を伸ばして個性あるM&Aコンサルタントに成長することで、会社はもっと多様で強い集団になると確信しています。

また、忙しくても成約1件ごとにその成果をしっかり味わい、過程を振り返って、心に刻んでほしいですね。また、M&Aは苦心して受託しても、最後の最後にブレイクしたり、心身ともにきつい仕事なので、何があってもすぐリセットできて元気になれる方法を自分で持っていてほしいですね!

60代のM&Aコンサルタントとして年齢や経験が生きる仕事を

—今後の目標を教えてください。

引き続き最前線に身を置き、新規開拓や海外案件のマッチングも徹底的にやっていきたいです。自称40歳ですが(笑)「60代のM&Aコンサルタントは日本にほとんどいないのでは」と最近色んな方に言われます。なので年齢や経験が役立つ仕事にも力を入れていきたいです。

「若手への還元」も大きなテーマです。企業戦略部のメンバーに限らず、若手社員に会社の歴史やフィロソフィー、心の持ちようなどを伝えていきたいですね。困ったり悩んだりした時は、気軽にチャットしてほしいです。

プライベートでは、家族との時間を大切にしたいです。また私の元気の素・マラソンで、鍛錬を重ね、フルマラソンで念願のサブスリー(3時間切り)を達成し、年齢別全国ランキングでトップ30入りを果たしたいです。

最後に、入社初年度、分林さんに横浜の食品会社に同行いただいた日の夜、商談での未熟さを詫びた私に分林さんがくださったメールです。これからも座右の銘とします。

“福井さんと一緒に日本М&Aセンターを良い会社にしたいものです。ぜひ中心人物になって下さい。日本一のM&Aマンになってください。応援します。
~明確な目標
個人の目標、家庭の目標、会社の目標を持ち成長する
~プラス発想、勉強好き、素直”

プロフィール
日本M&Aセンター 企業戦略部 福井 順(ふくい じゅん)
1960年生まれ。長野県出身。立教大学では応援団に所属。三和銀行、コンサルティング会社、外食会社を経て、2002年6月に日本M&Aセンターに入社。主に譲受け企業の担当として多くのM&Aを成約に導く。2018年より企業戦略部に所属。

パーパス
応援魂ですべての人・会社を応援し貢献する