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名門・滝川第二で磨いた「人間性」。サッカーに真剣に向き合ったから今の自分がある

名門・滝川第二で磨いた「人間性」。サッカーに真剣に向き合ったから今の自分がある

日本M&Aセンターにはスポーツでトップクラスの実績を残した社員も多数在籍しています。西日本事業法人部の浅野伸吾さんもその一人。

小学3年生からサッカーに打ち込んだ浅野さんは、高校サッカーの名門・滝川第二高校時代に進学。全国高校サッカー選手権では「大迫半端ないって」というフレーズが大流行した準々決勝に大迫勇也選手率いる鹿児島城西高校の対戦相手のゴールキーパーとして出場。年代別の日本代表として海外遠征に出ていた時期もあるそうです。

「サッカーと関係ない仕事に就いたとしても、サッカーに真剣に取り組んだ経験と自信が支えになっている」と語る浅野さんに、強豪校でのスポーツ経験や、M&Aコンサルタントの仕事に通ずる強みについてお話を伺いました。

地元・香川から
高校サッカーの名門・滝川第二(兵庫)へ進学

―滝川第二高校(以下、滝川第二)サッカー部は全国有数の強豪校で、岡崎慎司選手をはじめ、加地亮選手、金崎夢生選手など数多くのプロを輩出しています。浅野さんは高校1年生の時にのじぎく国体(少年の部)で全国3位、高校3年生の時に第87回全国高校サッカー選手権ベスト8となり、その年の大会優秀選手35名に選出。高校選抜チームとしてヨーロッパ遠征にも参加されたそうですね。サッカーをはじめたきっかけから教えてください。

浅野さん:小学校3年生の時、1つ下の弟がサッカーを始めるタイミングで親から「やる?」と聞かれたのがきっかけです。背が高かったので5年生からずっとゴールキーパーでした。漁師の息子ということもあって水泳はある程度のところまでやり切り、他にもラグビーや野球などいろんなことをやらせてもらった中で、サッカーが一番性に合っていました。

地元は香川県坂出市で、中学2、3年生の時に全国から優秀な選手を集めるトレセンの四国代表に選ばれました。3年生の時、翌年開催の「のじぎく国体」(2006年/兵庫県)の少年の部の監督であり、当時の滝川第二サッカー部の黒田和生監督がキーパーを探しているという話を受けて、四国トレセンのコーチに自分を紹介してもらいまして。

―その縁で滝川第二に入学することになったんですね。

はい。黒田監督はサッカー界では有名な名将で、兵庫から香川の中学校まで直々に視察に来ていただけることになって周りは大騒ぎでした。当時の自分は、黒田監督のすごさがよくわかっていませんでしたが…(笑)黒田監督から「兵庫県開催の国体は絶対勝ちたいから力を貸してくれ」と言われたのを覚えています。

兵庫県代表、キーパーの補強選手として受け入れ先高校が滝川第二でした。香川県外のサッカー事情は全然知らなかったのですが、滝川第二について調べてみると岡崎慎司さんを輩出、周りからもすごいって言われるからすごいところなんだろうなぁと…。あまりピンと来ていなかったんですが、親元や地元の友達から離れてサッカーだけに集中する環境に身を置こうと思って。

―滝川第二への入学後はいかがでしたか。

そんな感じなので、あまり気負わずに入学しましたが、滝川第二の生活はまさにサッカー中心の毎日。寮も学校の敷地内だったのでけがの治療をする時だけ外に出られました(笑)

―のじぎく国体はどうでしたか。

高校入学前にひざの手術をして何とか間に合ったのですが、そんな大舞台は初めてで緊張して初戦からPKを与えてしまって。0-1で控室に戻ったときにどうしていいのかわからずパニックになっていたんですが、チームメイトが、「大丈夫、俺たちに任せろ!」と言ってくれて。人の言葉に救われた経験で、よく覚えています。それで勢いに乗って結果全国3位になりました。

「大迫半端ないって」
最後の選手権の敗戦も大きな財産に

―印象に残っている試合は。

やはり高校3年生の冬、最後の高校サッカー選手権の準々決勝(鹿児島城西)でしょうか。滝川第二のキャプテンが試合後のロッカールームで「大迫半端ないって」と泣きながら発言したのが話題になった試合です。

私は自己紹介かのように、「大迫半端ないって、ってご存じですか?あの試合で大迫の相手のゴールキーパーだったんですよ。6点入れられたんですけどね!」と何度も話してきました。そんな場面に立ち会えたことが誇りであり、今でもその話ができるので大きな財産です(笑)

―チームはどんな雰囲気でしたか。

自分たちの代はチームワークがとにかくよかったですね。「大迫半端ないって」の試合も負けて悔しかったのですが、最後はチームに笑いが生まれて雰囲気が明るかった。滝川第二のチームで過ごした中で、問題が起きたときにしっかり話し合いをすることの大切さや、スポーツをするうえでの仲間意識、自分の役割を全うして貢献する姿勢など、人と接するうえでのベースになる価値観が形成されました。

―自身の成長を感じた場面は。

私の代はキーパーが豊作で、技術面でそれぞれ優れたところがあって、世代が違ったら全員が試合に出られていたと思います。みんながプロを目指しているので意識が高く、その中で切磋琢磨していたからこそ全国大会や選手権に出られた自分がいるのは間違いないです。

寮生活においても、野球部は甲子園、吹奏楽部は全国大会というようにみんながいろんな分野で高みを目指していて、意識の高い同世代の集団に身を置けたのは、貴重な体験だったなと振り返って思います。

「サッカーがうまいだけ」ではレギュラーに選ばれない

―サッカー部の指導や取り組みで印象に残っていることはありますか。

部のモットーである「驕らず怯まず潑剌と」という姿勢は染みついています。

滝川第二の変わった取り組みとしては、選手権など大きな大会の前に選手同士でレギュラーを決める投票があったことでしょうか。単純にサッカーがうまいだけでは選ばれるには足りなくて、「人間性」も大事な要素でした。たとえば、日ごろのチームメイトへの接し方、生活態度、規律を守っているか、挨拶がきちんとできているか、試合に出たときに安心感があるか、などです。

―人間性を磨くのはそう簡単なことではないですよね。

あとは、毎週日曜日に情熱大陸を全員で見て、どう感じたか、どう思ったか、そのうえで自分はどうするかをサッカーノートに書くという取り組みもありました。スポーツ以外でもプロフェッショナルな方の世界観を知って、感性を養い、視野を広げるためだったんだと思います。

実は日本M&Aセンターに入社するときの面接で「将来の目標は情熱大陸に出ること」という話をしたんです。社会にいい影響を与えるような人間になりたいという想いは、滝川第二の生活で自然と芽生えていたんだと思います。

―サッカーを通じてどんな力が身についたと思いますか。

小さいころからセレクションを受けて、滝川第二でも選手間の投票制度があって、周りの評価で自分のポジションが決まっていくという環境にずっといたので、目立つべきところでしっかり目立つこと、自分が人から選ばれるための見られ方・見せ方というのはすごく意識するようになりました。

あとは何より状況適応能力ですね。監督、先輩、後輩に対してどういう対応をするのがベストか判断したり、チームが円滑に回るには今自分がどういう役割をしたらいいかを見極めて行動したり。人や状況によって自分を変えることができるのは強みになったと思います。

―それは確実に今のM&Aコンサルタントの仕事でも生きていますよね。

そうですね。経営者と向き合う仕事なので、経営者のタイプに合わせて自分を変える。交渉の局面でもそうですし、あとは社内の立ち振る舞いでも、自分が置かれている状況に合わせて対応するのは得意だと思います。

ベースとしてストレス耐性が強くなったので、どんな相手が来ても動じないのも強みでしょうか。日本M&Aセンターには前職でトップクラスの成績を残した営業パーソンが多くいる中で、競争心もいい方向に作用していると思います。

―グループリーダーとしてメンバーを育成するうえではいかがですか。

マネジメントにおいてもサッカーで学んだ組織論が生きていて、全体を見渡す視野をもって、チーム全体のバランスを見ながら、型にはめずに個性を伸ばしてあげたいと思っています。「高い目標に向かって役割を全うする」ということ自体はサッカーもビジネスも同じじゃないですか。努力して結果を残して最後は全員で喜び合うという感覚を知っているから、またそれを味わうためなら頑張れますね。

私自身はゴールキーパーで「最後の砦」なので、最後に自分が何とかしてやろうみたい気持ちは人一倍あるんじゃないかと…。調子が振るわないメンバーがいれば、ここで自分が何とかしたらかっこいいよな~と思っています(笑)

「絶対結果を残す」という強い気持ちは仕事も同じ

―仕事とサッカーは同じぐらいの熱量ですか。

それは違うような気がします。当時の自分にはサッカーしかないと思っていたので、それ1本に没入できる強さがあった。でも、年を重ねるにつれて「ほかの道もあるけど今の仕事を選んでいる」という感覚になってきたんです。これはいいことだと思っていて、没頭しすぎて視野が狭くなるより、柔軟にいろんな考えを受け入れられると思うので。なので熱量は単純には比較できないんですが、仕事でもスポーツでも「絶対結果を残してやろう」という気持ちの面では同じですね。

スポーツもビジネスも勝負の世界なので、結局、もっとうまくなりたいとか、すごくなりたい、っていう強い気持ちがないと折れちゃうと思うんです。仕事も結果を出したい気持ちがあるなら努力もできるし、やるでしょうと。

―では、日本M&AセンターでのM&Aコンサルタントの仕事のやりがいはどんなところですか。

経営者と向き合うのでハイパフォーマンスが求められる中で、お客様に喜んでいただけたり、自分自身のビジネスレベルが上がっているのを実感したりできるのはうれしいですね。

―現在は中四国支店(広島市)をベースに、中四国エリア全般をカバーされていますね。

サッカーをするために高校は兵庫、大学は東京と点々とした中で、今は地元の香川や中四国地方に貢献したいという思いが強くなりました。サッカーでいえば地方にもいい選手もいて、見つけてくれる人やきっかけさえあれば活躍の場を広げることはできます。地方企業も同様で、M&Aを通じて飛躍するきっかけを作れればと思っています。

サッカーを真剣にやってきた経験と自信が今も心の支えに

―サッカーをやっていてよかったと思いますか。

はい。サッカーをしていなければ出会う人も変わったし、人生がまるっきり変わっていたと思います。決していいことばかりではなくて、挫折や悔しい思いもたくさん味わいました。あの頃の自分はプロを目指したので今のような姿は全く想像していませんでしたが、サッカーと関係のない仕事に就いたとしても、サッカーを真剣にやってきた経験と自信が今の自分を支えてくれています。 

あの頃の自分に、真剣にサッカーを頑張ってくれてありがとう、と伝えたいですね。逆に言うと、今の自分もちゃんと目の前のことを頑張らないと10年20年後の人生はよくならないと思うと我に立ち返りますよね。未来の自分から今の自分に対して、あの時頑張ってくれてよかったと言いたいので。

―最後に、今後の目標を教えてください。

サッカーに恩返ししたい気持ちがあって、最近息子のサッカークラブのコーチを始めました。仕事をするうえでの目の前の目標は、部長になって強い組織を作ること。その先で、この世の中にないビジネス、サービス、プロダクトを生み出すことにも挑戦してみたいと思っていて、日本M&Aセンターグループはそれが実現できる環境だと思います。

スポーツ選手とM&Aコンサルタントは活躍の場は違っても、自分の力で夢や希望を与えたいという想いは同じです。私も世の中にポジティブな影響を与えられる存在でありたいと思っています。


プロフィール
日本M&Aセンター 西日本事業法人部 浅野 伸吾
香川県出身。滝川第二高校から明治大学文学部に進学し、体育会サッカー部に所属。大学卒業後、証券会社、人材会社を経て2019年4月に日本M&Aセンター入社。譲受け企業のM&A支援を多く手がける。1990年生まれ。